カレーの歴史

 

インド 「カレー」という言葉はイギリスが広めたもの。ナーンは贅沢品。

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インドとパキスタンなどその周辺国で作られていた料理をもとに発展し、現在では国際的に人気のある料理のひとつとなっている。

日本では、明治時代にイギリス(インドがイギリス領)から伝わった。

インド料理は香辛料を多用するため、外国人の多くはインド料理の煮込み料理を「カレー」と認識している。

しかし外国人がカレーと呼ぶインドの煮込み料理は、サーグ、サンバール、コルマ、ダールなど、それぞれに固有の名称があり、「カレー」という料理はない。

ただし、インドの観光客向けのレストランやインド国外のインド料理店では便宜上、メニューに「○○カレー」という表記をしていることも多い。

これは、旧宗主国のイギリス人がインド料理をカレーと総称して世界に伝えたことがおもな理由である。

ドラヴィダ語族には野菜・肉・食事・おかずなどを意味する「カリ」(タミル語:கறி、kari)→英語「curry」と表記されるようになったと言われている。

インド固有の言語には「カレー」という言葉はない。

ちなみに、インドでは「ナーン(ナン)」というパンが有名だが、大きなタンドゥール(ナーンの調理がま)を持つ家庭は少なく、精白した小麦粉で作るナーンは贅沢品である。

日常的に食べられるのはむしろ少しの燃料とタワー(鉄板)があれば焼ける全粒粉のフラットブレッドの一種チャパティである。

タイ インドのカレーと無関係。現地の「カレー」は日本風「カレーライス」。

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タイにはタイ語でゲーン(แกง)と呼ばれるスープ状の食品がある。タイの宮廷で発祥した料理で、インドのカレー料理との直接の関連性はない。

しかしながら、複数の香辛料を用いるというカレーとの類似性から、タイカレー(英:Thai curry)と呼ばれる水分が多く香辛料を使用したタイ料理である。

。生の香辛料を使用する事が多く、唐辛子、ニンニク、エシャロット、ハーブ類(ショウガ類、レモングラス、コブミカンの葉、コリアンダーなど)をすりつぶして作った「ゲーン・クルーン」を炒め、海老や鶏肉、野菜などを水やココナッツミルクで煮込みナンプラー(魚醤)で味をつけた香り高い料理である。

使用するゲーン・クルーンの素材や煮込む素材によって辛さや色、香り、味が異なる。代表的なものにレッドカレー、グリーンカレー、イエローカレーがある。炊いた香り米にかけて食べるが、ロティと共に食べる事もある。

英語で「Yellow curry」と呼ばれるゲーンは「ゲーン・ガリー(แกงกะหรี่)」という。

上記の通り、インドのカレーと直接の関係は無いものの、現在ではカレー粉を用いたゲーンのレシピも存在する。

この場合のカレー粉は、ポン・カリーと呼ばれ、プー・パッ・ポン・カリー(ปูผัดผงกะหรี่、カニのカレー粉炒め)などに用いられる。

また、タイでカレーと呼ばれているのは、日本から入ってきた日本風のカレーライスである。

ベトナム 具材は日本のカレーに似てる。

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ベトナム料理のカレーはベトナム語でカリー(Cà ri)と呼ばれ、カレー粉、トゥオン・カリー(tương cà ri)というカレーペースト、唐辛子、レモングラス、ココナッツミルク、トマトペーストで食材を煮込んで作り、麺、米飯あるいはフランスパンと一緒に食べる。

タイカレー同様、塩味は魚醤(ヌックマム)でつける。ジャガイモあるいはサツマイモ、タマネギ、ニンジンが入る点は日本のカレーと似ている。

ナスと豆腐を使ったカリー・チャイ(cà ri chay)や鶏肉のカリー・ガー(cà ri gà)、カエルを使ったエチナウ・カリー(Ếch nau cà ri)がある。

イギリス 船員「シチュー食いて-!」→仏「トロミつけよう。」→現在の英「カレーライス?」

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イギリスの国民食 チキンティッカマサラ

イギリス人の船乗りは航海中にシチューを食したかったが、当時は牛乳が長持ちしないとの理由で諦めるしかなかった。

これが発端となり、牛乳のかわりに日持ちのするカレーの香辛料で、シチューと同様の食材で作った料理をイギリス人の船乗りが考案しており、これがイギリス的なカレーの由来のひとつとされる。

1772年、インド総督のウォーレン・ヘースティングズによって、イギリスに植民地インドの「カレー」料理が紹介され、評判となった。

この時紹介されたのは、インディカ米にターメリックで着色した野菜と肉のスープをかけた料理「マリガトーニスープ」である。

イギリスのC&B社は、多種多様な香辛料を使いこなせないので、スパイスをあらかじめ調合した「カレー粉」を「C&Bカレーパウダー」として売り出した。

これによりカレーは英国の家庭料理として普及した。1810年にオックスフォード英語辞典に「カレーパウダー」の語が登場している。

そして、ソースを重んじるフランス料理の影響から、小麦粉のルウでカレーにとろみを出す料理法が編み出されたといわれる。

ただし、現在では、家庭料理としてのカレーはほぼ廃れた状態である。

元々、イギリスのカレーは具として牛肉のみで、中流以上の家庭で、日曜日に大きなローストビーフを焼く習慣(サンデーロースト)があった。

残り肉を一週間かけて食べるため、残り肉の調理法にカリー・ライスがあったが、サンデーローストの習慣が失われると同時にカレーライスも廃れた。

しかし今でもパブや学生食堂のメニュー、冷凍食品として、一定のニーズがある。

第二次世界大戦後、旧植民地の南アジア地域のインドとパキスタンが独立し、そこから移民を大量に受け入れることになったイギリスには、南アジア系移民の共同体とインド料理店が多数生まれた。

ここで生まれたチキンティッカマサラは、インド料理の チキンティッカをカレーソースで煮込んだもので、ローストビーフの残り肉を煮込んだイギリス式のカレーを、インド料理が逆に取り入れたものであり、いまではイギリスの国民食と言われるほどの人気を得ている。

バルチもイギリス発祥のカレー料理である。

こうした環境が、イギリスで家庭料理としてのカレーが廃れた理由のひとつといえる。

明治時代に日本海軍に伝わったカレーは、イギリスのビーフシチューにカレーパウダーを追加したものという説がある。

フランス 私、辛いの苦手なんで・・・。

植民地インドの料理法に、フランス料理特有のソースを導入したイギリスの手法は本家フランスにもわたり、カレーライスやドライカレーに似た「リ・ゾ・カリー(riz au cari、もしくはリ・ゾ・キュリ riz au curry)」という料理が生み出された。

また19世紀のパリにおいては、インド皇帝も兼ねたイギリス王にちなみ、エドワード7世風と呼ばれるカレー風味の料理が多く登場した。

さらに、19世紀の薬剤師ゴスは「カリ・ゴス」(kari gosse)と名づけられた混合調味料を開発、フランス各地のレストランに提供した。

全盛期の1930年代にはベルギーやモロッコにも輸出されたが、第二次世界大戦中に工場のあるブルターニュは焦土と化し、今はごく小規模な工場から薬局を通じ、各レストランに送られるのみである。

現代のフランス人は辛さが苦手で、フランス風の「キュリ」は辛さよりスパイスの風味を活かしたものが多いと云われるが、南仏ではこの「カリ・ゴス」が地元の味として今も活用されている。

日本 スープカレーは薬膳カレー+インドネシア料理。

■カレーライス

日本ではイギリスから伝わったものに小麦粉を加えたとろみのあるカレーを米飯(ライス)の上に掛けて食する「カレーライス」は、国民食と言われるほど普及しており、それぞれの地域や家庭、店舗等によって様々にアレンジされたカレーが存在する。

■カレースープ

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スープ状のカレーや、カレー味のスープを呼ぶ(元々、カレーはスープ状のものが多くある)。

1971年に札幌市の喫茶店「アジャンタ」が発売した薬膳カリィがオリジナルとされる。

1993年に「マジックスパイス」がそれにソトアヤムというインドネシア料理のエッセンスを加えて「スープカレー」と名付けて売りだしたところ、行列ができるほどの人気店となり、注目された。

2002年にはスープカレー店が同市に200店以上も乱立し、スープカレーブームが起こった。

2003年、神奈川県の「横濱カレーミュージアム」にマジックスパイスが出店したことにより、スープカレーが全国的に知られるようになった

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